2026年9月11日
萩往還をゆく
萩から三田尻まで約53km、街道の見どころ29か所
慶長九年(1604)、関ヶ原に敗れた毛利が萩に城を築いたとき、この道は生まれました。
日本海の萩から、山を越えて瀬戸内の三田尻へ。
参勤交代の行列が江戸へ発つ道であり、荷も人も便りも、みなここを通りました。
幕末には、吉田松陰が江戸へ送られ、高杉晋作が駆け、志士たちが何度も往復しています。
萩を出る旅人が最後に城下を振り返った涙松、炒り豆を一升食べ終える長さの一升谷、
一里ごとに築かれた塚、峠の国境の碑。遺構は今も残り、国の史跡に指定されています。
その見どころ29か所を、街道の道すじといっしょに地図にしました。
全部歩かなくてもかまいません。石畳の一区間でも、宿場の町並みだけでも。
市を選ぶと絞り込めます。茶色の線が萩往還の道すじ(山口市のルートマップをもとに作成)/地図:OpenStreetMap
萩市13か所

唐樋札場跡萩往還の起点
萩城下の高札場で、藩の法度を掲げた場所。ここから瀬戸内の三田尻まで、約53kmの萩往還がはじまる。国指定史跡。
日本、〒758-0044 山口県萩市唐樋町 札場跡

涙松遺跡松陰が振り返った場所
松並木の切れ目から、萩の城下が最後に見える場所。旅人はここで振り返って別れを惜しんだ。安政6年(1859)、江戸に送られる吉田松陰が「かえらじと思ひさだめし旅なれば ひとしほぬるる涙松かな」と詠んだ。
日本、〒758-0061 山口県萩市椿1055

悴坂一里塚跡一里ごとの道しるべ
街道の一里(約4km)ごとに築かれた塚。土を盛って木を植え、旅人の距離の目安とした。国指定史跡。
日本、〒758-0061 山口県萩市椿

松陰記念館松下村塾の再現と銅像
道の駅萩往還に併設された記念館。松下村塾が再現され、吉田松陰と門下生たちの銅像が立つ。街道歩きの出発点として使いやすい。
日本、〒758-0061 山口県萩市椿1258

悴坂御駕籠建場行列が休んだ場所
参勤交代の行列が駕籠を降ろして休息した場所。茶屋も置かれていた。国指定史跡。
日本、〒758-0061 山口県萩市明木

明木萩から一つ目の宿場
萩を出て最初の宿場町。「市」は市の立った町を指す。今も往還沿いに家並みが残る。
日本、〒754-0411 山口県萩市明木

一升谷炒り豆一升の長い坂
坂を登りきるまでに炒り豆を一升食べ終えてしまう、という言い伝えから名がついた長い坂。石畳が今も残る。国指定史跡。
日本、〒754-0411 山口県萩市明木

釿切 中の垰下一里塚釿切に残る一里塚
釿切(ちょうのぎり)の石畳の近くに残る一里塚。萩往還には一里塚が五つ残っており、そのひとつ。
日本、〒754-0411 山口県萩市明木48

落合の石橋街道の石橋
佐々並の谷に架かる石造の橋。街道の土木遺構として国指定史跡。
日本、〒753-0101 山口県萩市佐々並

萩往還おもてなし茶屋(旧小林家住宅)佐々並の旧小林家住宅
佐々並市の町並みに残る旧小林家住宅を使った休憩所。重要伝統的建造物群保存地区の中にあり、街道歩きの途中で一息つける。
日本、〒753-0101 山口県萩市佐々並 2524 番地 の 1

佐々並市赤瓦と白壁の宿場町
萩と山口のちょうど中ほどに置かれた宿場町。赤瓦と白壁の家並みが今も残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。
日本、〒753-0101 山口県萩市佐々並

佐々並市頭一里塚宿場の入口の一里塚
佐々並の宿場の入口に置かれた一里塚。ここから赤瓦と白壁の町並みがはじまる。
日本、〒753-0101 山口県萩市佐々並

上長瀬一里塚一里ごとの道しるべ
萩往還に残る一里塚のひとつ。国指定史跡。
日本、〒753-0101 山口県萩市佐々並
山口市7か所

板堂峠長門と周防の境
長門国と周防国の境に立つ碑。板堂峠は萩往還でもっとも高い所で、萩から歩いてきた旅人はここで山口側へ下る。国指定史跡。
日本、〒753-0091 山口県山口市上宇野令

一ノ坂の一里塚一里ごとの道しるべ
山口側の下りに残る一里塚。国指定史跡。
日本、〒753-0091 山口県山口市上宇野令

六軒茶屋跡茶屋が六軒並んだ
一ノ坂の駕籠建場跡。茶屋が六軒並んでいたことからこの名で呼ばれる。国指定史跡。
日本、〒753-0091 山口県山口市上宇野令

天花の石畳入口山口側の登り口
山口の町から板堂峠へ登っていく石畳の入口。ここから先が山道になる。
日本、〒753-0891 山口県山口市上天花町8

瑠璃光寺 五重塔国宝。街道は門前を通る
室町時代、嘉吉二年(1442)ごろに建てられた五重塔。日本三名塔のひとつに数えられる国宝で、萩往還は香山公園の門前を抜けていく。
日本、〒753-0095 山口県山口市木町1−28

一の坂川町なかを流れる川
山口の町を流れる川。萩往還は町なかのこの流れに沿って通っていた。初夏はゲンジボタルで知られる。
日本、山口県山口市 一の坂川

柊神社参勤交代の祈祷所
小鯖の柊地区の鎮守。宝暦八年(1758)に藩主毛利宗広の二女・誠姫が再興し、以後、藩主は参勤交代のたびに祈祷料を納めた。婦人病に霊験があるとされ、願をかけた小さな鳥居がいくつも奉納されている。
日本、〒753-0212 山口県山口市下小鯖
防府市9か所

鯖山峠防府へ越える峠
山口から防府へ抜ける峠。ここを下れば瀬戸内はもう近い。
日本、〒747-0064 山口県防府市高井

宮市本陣兄部家大名が泊まった宿
参勤交代の大名が泊まった本陣。萩往還でも屈指の格式を持ち、幕末には多くの志士が行き交った。国指定史跡。
日本、〒747-0032 山口県防府市宮市町5−11

防府天満宮日本最初の天満宮
菅原道真を祀る。道真が大宰府へ下る途中この地に立ち寄ったことから、没した翌年に創建されたと伝わる、日本で最初の天満宮。萩往還は、その門前町である宮市を通る。
日本、〒747-0029 山口県防府市松崎町14−1

車塚古墳街道わきの前方後円墳
六世紀後半に築かれた前方後円墳。復元すると全長約58メートルで、瀬戸内の同じ時期の古墳では有数の大きさ。防府市指定史跡。街道はそのすぐ脇を通る。
日本、〒747-0811 山口県防府市車塚町5

楫取素彦・美和子終焉の地松陰の妹夫婦が晩年を過ごした
楫取素彦は吉田松陰の妹・美和子(文)の夫。群馬県令をつとめ、晩年を三田尻で過ごした。松陰は刑死の前、妹たちのことを楫取に託している。
日本、〒747-0814 山口県防府市三田尻1丁目1−42

野村望東尼終焉の宅高杉を助けた歌人が没した家
福岡の歌人で勤王家の野村望東尼が、晩年を過ごし、慶応三年(1867)に亡くなった家。福岡で高杉晋作をかくまい、そのために姫島へ流され、高杉の手の者に救い出されて防長へ渡ってきた。
日本、〒747-0803 山口県防府市岡村町5−6

住吉神社石造燈台港を照らした灯台
三田尻の港に立つ石造の燈台。出入りする船の目印になった。国指定史跡。
日本、〒747-0814 山口県防府市三田尻2丁目8

三田尻御茶屋旧構内 英雲荘藩主の休息所
萩藩主が三田尻で休息するために建てた御茶屋。萩往還の終点にあたる。7代藩主毛利重就の号から英雲荘とも呼ばれる。国指定史跡。
日本、〒747-0819 山口県防府市お茶屋町10−21

三田尻御舟倉跡御座船の船着き場
参勤交代で使う藩の御座船を格納した船倉の跡。萩から53kmを歩いた行列は、ここから瀬戸内へ船出した。国指定史跡。
日本、〒747-0814 山口県防府市三田尻3丁目3−13